「 まさか、ひとりで食べちゃうんじゃないよね その四 」



 やはり、楽しみは分かち合わなければならない。ひとりでデザートなどいただくのは、申し訳ないのである。それが人情というものである。要は、みていられるとやりにくいのである。

 それで、自炊の場合など、野菜いためとか、少し分けてあげる。たまねぎは彼女たちにはよくないそうである。たまねぎ中毒を起こして、腎臓によくないと昔からきいている。だから、にんにくとかもきっとよくなさそうだ。またコショウとか辛いものもよくなさそうなので、そういうものを、加える前に、彼女たちのために、少し、別にしておくのである。体は小さい彼女たちである。少しと思っても、彼女たちにとっては、けっこうな量になるはずである。

 それに、ゲインズセレクションは大好物で、夕方にはおふくろさんが、ジャーキーとか、いりことかも加えて、一応彼女たちの夕食は済んでいるのだ。わたしの差し入れは、いわば好奇心の満足であり、口直し、デザート的なものである。少しで、充分納得するのである。

 わたしも、食事の最終段階には、ゼリーとか、ヨーグルトなどを食べるが、これには、彼女たちの特に熱い視線を感じる。サジに少し、 二すくいあげると、よろこんでたべる。グルメなのである。わたしが食べている間は、常に彼女たちの視線を感じるが、最初と、最後に、楽しみをわずかに共有すれば、何とか納得はしてくれるようだ。というか、それで納得してもらうしかない。

 ゼリーなどはサジひとすくいでも、体重4キロ前後の彼女たちからすると、大きなゼリーになる。その17倍ほどのわたしには、小さなゼリーである。満足してもらわなければこまるのだ。

 お弁当を買ってきたりすると、彼女たちに上げられるものがないときもある。香辛料や、たまねぎが入っていたりして。そんなときは、例の蒸かしイモが役に立つ。それもないときは、ゲインズ、彼女たちの常食、を手にとってすこし上げたりする。すると不思議なことに、物めずらしそうに食べたりする。しめしめとわたしは思ったりする。やはり半分は好奇心と雰囲気で食べたがリのようだ。

 このように、わたしは、彼女たちと、少しわびしくもたのしく夕食をともにするのである。

           ( おしまい )  

                    2002年3月下旬

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