マッキーさんはミニダックスである。そして、ど近眼である。
親に向かって毒づいたこともある。
「ど近眼に産みやがって。どうするつもりだ。困るんだよねー」
そう、花も恥らう16歳のころだろうか。
それは、美しい少年であった。まったくうそ。
すると、
「なーに、そんなものは、ちっとも気にすることはない。
30くらいになれば、なおるよ。ほんとほんと。それにちっとも気にならなくなる。」
(どっちだろう?なおるのと、気にならなくなるのは、ずいぶん違う気もする。
それに30まで待たなくちゃーならないのか。
うーん。ずいぶん先なよーな気がするが。)
「もっと早く、何とかならないの?」
「それは、無理だね。30にならないとね」
(そうかー。仕方ないか。30になればなおるんだな。よしよし。まあ、気長に待つことにしようー。)
このように、たやすく、のせられたのである。
30歳は、ずいぶん先の話と思っていたのだが、
あれっと、気が付けば、ずいぶんと懐かしい話になっている。
そういえば、もう30を過ぎたのに、状況はあまり変わってないなー。
さては、一杯食わされたようだ。
しかし、いつのまにか、これが当然と思うようにはなっているから、あら不思議である。
ひとは生きてゆく中でたくましくなってゆくものなのだろう。
そうだ、もしマッキーさんに子供がいたならば、この手を使ってやろうと思いついた。
(悩める姪っ子か甥っ子でも可)
ふふふ、そうだ、ついでに、もう少し、年齢をあげておいてあげよう。
そのほうが楽しみが先送りになるだろう。
「大丈夫、そんなことは、少し年をとれば全く問題なーし。ピタリとなおるし、気にもならない。」
それで、いくつくらいなの?
っとその子は聞くかもしれない。
「そうだなー。80歳くらいだね。」
「そんな待てるか!人生終わっちまうじゃねーかよー」
とその子は毒づくだろう。きっと。
するとマッキーさんは、おもむろに応えるのである。
「じゃー、50歳に負けておくか」
そういえば、こどもの頃、遠足へ行ったとき、疲れてくると
「先生、頂上はまだですか」
っときくと。
「もう少し、もうちょっとだよ」
とか、いわれたなー。
「アーよかった、もう少しか」
それでも、それからずいぶん歩かされるのである。
それに、実はマッキーさんは毎日のお仕事で、
「もう、明日は、大丈夫ですよ」
「もうちょっとでぜんぜんOKですよ」
などと、あまり根も葉もない展望を、
心から一生懸命に、繰り返し話し聞かせているのであった。
人のことはいえないマッキーさんである。
(おしまい)
ど近眼のマッキーさん 後編
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