「今日は、曇ってますねー」
マッキーさんはいつも、愛想よく、しっぽをふりつつ話し掛ける。
しかし、なかには、
「なんか、文句でもあるのかー。馬鹿にしやがって」
と思うのか、逆に警戒されてしまうことがある。
ちょっと、コミュニケーションをと思ったのになー。
何でだろう?
なかには、ちょっとびっくりするようだが
それでも、
(このミニダックスに、他意はないのだな)
と思い直して
「そうだね、今日は曇りだね。降らなきゃいいね」
とやわらかく、理解をしてくれる人もある。
こういう犬がいてくれるからやってゆけるのである。
きっと、間合いが違うんだろうなとマッキーさんは思っている。
自分も、突然話し掛けられればびっくりする。
普通は、相手の様子を見つつ、機嫌がよさそうだとか
さびしそうだとか、考え事をしているみたいとか、嫌われてるみたいとか
観察しつつ、相当慎重に話し掛けているのである。
だから、つっけんどんにされることも実際多い。
それでも、仕方がないと思っている。
あいてをうらむなどということはアホなことだ。
それに、みんなだって、そんなに余裕綽々としている訳ではない。
毎日、時代に遅れないように、人の波に乗り遅れないように、
負けないように、浮いちゃわないように必死でついて行っているのである。
余裕綽々の犬があれば、それはものすごく偉大な犬か、または、ちょっと不誠実な犬である。
でも、十人に一人でも、余裕綽々とはちがうだろうけれど
「あっ、この犬は、何か問題を抱えているから、こういうタイミングなんだな」
と気付いてくれる人があれば、それに感謝をすべきだろう。
そう、感謝の気持はほんとに大切である。
きっと、東京タワーの足元にいて
「あのー、すいません。東京タワーはどこでしょうか?」
と聞かれるようなものかもしれない。
(マッキーさん自身も、何ー!ひとをオチョッくってるのかー。関わりにならないようにしよう、と思うことだろう。)
そういうことを、マッキーさんはきっとよくやってしまっているのだろう。
話題について行けないというか、全体の流がつかめないことがある。
「へっ、何のこと。どうなってるの?」
会話の中でのアイコンタクトがないせいだろう。
会話の中でのアイコンタクトはきっと、キャッチボールみたいなもので、
自分の投げた球を、そらさずきちんと受け取ってくれ、また、取りやすい所へしっかり投げることで、
安心感が生まれると思う。
そんな輪の中できっと、会話はなされているんじゃないかな。
マッキーさんもうそうである。
きっと、距離的にいうとやはり顔が見えて、表情が分かる距離だと安心して話せる。
でも、マッキーさんが、この距離で話せる場合は、もうすでにけっこうコミュニケーションがとれているということだ。
アスカさんとはこの距離でよく話している。
でもソーラさんとは、この距離で話せるチャンスというものがマッキーさんにはないのである。
そのチャンスそのものを作ることが実は重要なのである。
突然話題はワールドカップへ
サッカーのワールドカップ、マッキーさんは晴れの舞台に立っている。
司令塔のソーラさんは、マッキーさんの方を見ているようには見えない。
前方や逆サイドばかり見ている。見ているように見える。
これは、カモフラージュなのだ。
ソーラさんはマッキーさんにだけわかるかすかな視線を向けるのである。
それは、こっそりと、それもほんの一瞬である。
相手チームはそれに気づいていない。マッキーさんの動きにもノーマーク
だ。
でもキラーパスが出るのである。
マッキーさんはゴール前のわずかにあいているスペースへ走り込む。
ボールは意表をつくコースで、絶妙のタイミングで出された。
マッキーさんはジャストに追いつき、そして
オーバーヘッドでおもいきりしっぽを振りぬくのであった。
そして、ゴールのコナーギリギリいっぱいにボールはつきささって行ったのである。
「ゴール!!!」
とまあ、こういくといいねー。
小学校のときとか、どうも先生が指してくれないなーと思っていた。
目を伏せて念を送っていただけでは、さしてはくれないのである。
お説教のときとか、どうも話が長くなる。
よく「ひとの顔色ばかり見てはいけない。自分の意見を堂々ともちなさい」
というが、実は、
その逆なのである。
ひとの顔色ばかりをしっかり見なければならないのである。
こうかくとちょっと誤解を招くけれど、
そのことに気づくまで、マジで自分の場合かなり時間がかかっているのである。かなりヤバイでしょ。
会話はによるコミュニケーションで、言葉のしめる割合が30パーセントか20パーセントだってね。
あとは、表情や目の色や、アクションなんだよね。
マッキーさんはずいぶん損をしているかも知れない。
10メートルくらい離れたところからでも
ソーラさんに
「やあ」
って笑顔のサインが交わせたら、きっと人生はもっと楽しいことだろう。
(ふいっ)
(あれっ)
それでも、大して変わらないかも知れない。それどころか、見なくて済むものまで見ることになり、よけいに大変なことになるのかもしれない。
(おしまい)
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